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運命の扉

2021.09.28

人の一生は、神様だけがご存知なのでしょうか?どんな人にも寿命があり、いずれ死が訪れる。しかし人は自分だけは死なない、そんなに早く死は訪れないと想う人も多いようだが、人生の時間軸は決まっているのかもしれない。この世に生まれたら、どんな境遇にせよ、もうその人それぞれの生きる道は決められているのかもしれない。車が走るのにガソリン、電気が必要なように、人間が生きるにもエネルギーが必要で、遠隔ヒーリングで危篤、死の淵から生還する人もいる。しかし、命があの世に持って行かれてしまう人もいる。もう二度とこの世界には、慣れ親しんだ身体には戻れない。本当に一寸先は闇だ。昨年、今年と幾人かのお客様が旅立ちました。本当に家族に惜しまれ人生をやり遂げて、命を全うする人もいれば、命の炎が一瞬で消えてしまった人もいる。この差は何なのかなぁと考えると、運命の扉がそれぞれ決められていて、この世での魂の修業が終わった人は、あの世での修業に移行しなければならず、この世でまだまだやる事がある人は、この世で生きる御力を神様から頂けるのかなぁと想う。人の一生はそれぞれだが、自分の人生を見つめ幸せだったと旅立ちたいと思う。やり残す事の無いように、自分にコミットして生きたいものです。死を見つめることで観えてくる世界がある。生き方を間違えてしまうと、転落の扉が開いてしまう事がある。転落の扉が開いたら、もう二度と神様とは繋がれない。私たちは知らず知らず生かされている。目に見えない運命の糸に守られている事を、忘れてはならない。ひすいこたろう筆「あした死ぬかもよ?」に、明日が命日だったら?自分の死を笑って死ねる為のことが書かれている。参考にしたら、いずれ来る死と少しは向き合えるかもしれない。

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