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死生 魂の導き

2021.03.13

9月になりある会で講話の時に北海道から来た男性が近づいて来て、私を探していた、あんたを探しに会津に何回も行ったんだよ!貴女は世界を救う女神とまで言うのです。実は先祖は戊辰戦争で北海道に行き開拓して会津に帰って来ましたが、祖父は会津若松に土地を買い起業家でしたが、孝明天皇と同じ36歳でこの世を去りました。私を探していた医師も会津が先祖でした。 北海道の男性Nは、運命が奈落に落とされ彷徨っていました。その頃、私にはまだ藤原鎌足に纏わる霊界と豊臣秀吉の霊界が邪魔しており、見えない敵との闘い浄化仕事に明け暮れて疲弊してましたが、Nの徳積みで藤原の怨念と豊臣秀吉の怨念の浄化に成功できました。すると今度は、孝明天皇の暗殺、坂本龍馬、岩崎弥太郎、長宗我部の先祖霊界と繋がる女性が来ました。足腰に先祖霊が憑依しており、歩くのも杖と車椅子が必要なほどでしたが、次々と浄化し今はスタスタと歩いています。岩崎弥太郎は、四谷時代に来たお客様一族に運命のブロックが来ており、田端の土地に行くと大きな神社が祀られていた事が判明し、その土地は弥太郎が生前暮らした場所でした。夜中にまた映像で弥太郎が孝明天皇に土下座して泣きながら謝罪してる姿が観えました。 また四谷時代は、ある男性が足腰が痛みヒーリングすると、夜中に板垣退助が現れて泣きながら 孝明天皇に土下座して謝罪してる姿が観えました。今になって想うと、開国に反対した孝明天皇が魂のブロックを解除するために動いていたのでした。その後、移転先に来た男性が九州の花岡山に土地を買い大変な問題を抱えている女性がいるから来てくれと言われ尋ねると、西郷隆盛が最後に戦った場所で先祖は伊藤博文より偉かったそうです。因縁で呼ばれて次々と不幸が一族を襲っていたのでした。西郷隆盛を率いる軍に最後斬り挑んだのは会津藩士たちだったと知りました。その男性は会津藩士に命じた人と同じ名字で何度も心筋梗塞を起こしながらも、何とか解決したいと一念の思いで私を呼んだのでした。その後東京に戻りまた大きな体の西郷隆盛が大泣きしながら孝明天皇に土下座して謝罪する映像が観えた。この孝明天皇が現れる浄化仕事の目的はその時は全く理解できてませんでした。続く

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