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明智光秀のの人物像

2021.01.08

私は現実には明智光秀に会ったことも無い。でも毎日のように来て短い話をする。 勿論、霊は見えないし声が聴こえるだけで受け止めるのが精一杯。彼はいつも一生懸命だ! 何か現代の私達ではわからないグニャグニャした人間の想念とも言える霊界での過去の犯した 罪に対して、解決策の糸口を辿るように懸命に頑張っている。要するに精一杯の誠意を見せてくれる 誠実な人だと想う。でももし機会があったら考えて見て欲しい。細川ガラシャの死、大切に育てた娘が関ヶ原の合戦の前に、自害、家は焼ける、大変な惨状、石田三成が負け戦と知りながら勝ためには キリスト教に帰依してる武将達の妻を統括している総大将である細川ガラシャを筆頭に、妻達を人質にして徳川に味方する豊臣陣の武将達を、人望の無かった石田三成が味方に引き込もうと苦作、 細川ガラシャ自害ー暗殺?に繋がる。明智光秀としては辛い苦しい無念の死、明智光秀は本能寺の変を企て死んだとされている。その後の政権を握ったのは、豊臣秀吉、山崎の戦いで処刑されたのは 家臣の斎藤利三、後の春日局の父親である。明智光秀が本能寺の変に行かず、徳川家康、豊臣秀吉と 結託していたならば、秀吉死後、徳川家康を揺さぶり要は家康の背後に隠れている明智光秀を揺さぶり、関ヶ原で勝ための最高の獲物は細川ガラシャである事は間違いない。だからこそ自害に見せかけてガラシャは、キリスト教イエズス会に繋がってい徳川側のスパイを家に安易に入れてしまい暗殺、 現代なら完全犯罪が企てられてしまったとしたなら、石田三成が徳川家康を恐れて人質を解放し、 負け戦と知りながら関ヶ原をやるざるおえなかった。死を覚悟しながらも関ヶ原やるしか無かった! 石田三成も悲しかったが、明智光秀の苦しさと辛さは、自分が選んだ道とは言え、やり切れず、ガラシャへの謝罪と懺悔の気持ちでいっぱいであったであろうと想う。明智光秀が今時代を超えて語ろうとしている真実の中に、娘を犠牲にして得た成功や幸せが何の意味を持つのか? 彼の魂は未だ癒されず自分の罪と 向き合って現世に舞い降りていると想う。

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